ナショナルジオグラフィック ニュースに
チームの能力を左右する社会的感受性
というのがありました。
ほんとうの環境問題
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なんて本を読んでいる最中なせいか、若干批判的な(まぁ、いつも批判的なんですけど、ナショナルジオグラフィックはけっこう好きな雑誌ですし、科学的・論理的に筋が通っていれば批判的である必要はないんですけど・汗)感想です。
まず引用から。
視覚パズルや希少な資源を巡る交渉など頭を使う作業をグループで行う場合、個人の頭の良さは作業の成否にほとんど影響がなく、むしろ“社会的感受性”の高い人がいるグループの方が成功率が高いことが、最近行われた一連の実験でわかった。ここでいう社会的感受性とは、相手の顔色を見て感情を判断できる能力を指す。
ニューヨーク市の臨床心理士ボニー・ジェイコブソン氏も、研究結果は集団療法を成功させるのに役立つと称賛する。この実験結果は、集団療法のセッションを指導する際に同氏が気づいた、集団による問題解決の有効性を裏付けているという。「集団の知力に匹敵する知力を持つ個人の療法士など存在しない。たとえフロイトでも、ユングでも、エリクソンでもだ。研究はそれを実証しつつあり、私は心から賛同している」。
集団で何ができるかを考えることは重要だが、集団を分解すれば個人となる。
社会的感受性が高い人がいると集団がうまく機能し、個々人の能力がうまく機能した結果、集団の力が発揮されるのではないか。
つまり、社会的感受性を凌駕するようなリーダーシップをもった個人がいれば、社会的感受性が高い人がいなくても高いパフォーマンスを示すことができるのではないか。
えてして、リーダーシップを持っているひとは社会的感受性は高いという可能性が高いが。。。
確かに個人よりも集団のほうがいろいろな可能性が高まるだろう。
だが、やはり基本は個人の能力ではないかと考えられる。
コラボレーションの結果1+1が3にも5にもなるというのも、元々の個人にその資質があるからではないだろうか。
それをうまく引き出すのが社会的感受性であったり、コミュニケーションの力であったりするのではないか。
社会的感受性を持った人がいればそれでいいというわけでは決してない。
社会的感受性を持った人がいれば、様々なことが楽に回る可能性がある(その集団内でいろいろな意見が熟成されやすい環境になる可能性がある)が、それを凌駕するだけの知性はあるだろうと思われる。
なぜならば、集団の力とは結局、個々人の経験や知識の総量が集団内の人数分だけ増えるということ。そして、それが相互作用により足し算ではなく掛け算になる可能性があるということ。ただそれだけだ。
例えば、日中関係を語るときに日本も中国も知らないルワンダの人が10人いても日中関係を研究しているアメリカの大学教授一人にはかなわない場合があるだろう。
そういうことだ。
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